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前回の一文

2020.12.1

今日ツイッターで、とある人の「当たり前」という言葉が入った
ツイートがバズっているのを見つけた。

「当たり前」という言葉は他人に向けてしまうと鋭利な刃に変わっちゃうよね。
「大人なら」「社会人として」といったような枕詞が付ついちゃうと
たとえ善意で言ったつもりでもそれを言われた相手は
自分自身の価値を下げて傷付いてしまうケースが大半だろうね。

そもそも「当たり前」という言葉は言い方を変えると
「自明である」という風に変えられる。

「自明」

要するに物質は上から下に落ちるとか、季節は春夏秋冬だ、とか
そういった100人いれば100人同じ結論に辿りつくこと。
それが今使われている「当たり前」の本質だと僕は思ってる。

これを他人の「価値観」という十人十色の物事に対して使うと
「当たり前」の本質から外れちゃって歪みが生まれちゃうんだろうね。
だから、今使われてる「当たり前」は息苦しさを生み出してるんじゃないかな?

でも「当たり前」も活用することができれば、
とても役に立つ言葉になれるポテンシャルを持ってるはず。

例えば自分自身を律し、より良い自分を築き上げるために使う。
自分にとって「妻を愛することは当たり前」とか
「家に帰ったら靴を揃えるのは当たり前」とか

みたいな些細なことから、始まって「ノブレス・オブリージュ」の様に
社会的な責任や、重要な仕事をする上での責任を背負うことを
「これが自分にとっての当たり前」と誇りの様なものを持って生きる。

そうした責任を喜んで背負い、その上で
「自分らしく」で毎日を過ごすことができれば
それはきっととても豊かな生き方だろうなぁ。

でもこういうことって、なかなか学べる場所は無いんだよね。

特に大きなコミュニティを持ち、多くの人を引っ張る立場にある人は
「他人の当たり前」なんかに感情を左右されずに、「自分らしく」
多くの人たちの背中を押してあげられる、そんな人がもっと増えると
世界は間違いなく良くなる、これは「自明」だね。

そんなことを考えた1日でした。
世の中で活躍してる人たちはきっと良い「当たり前」を
無意識のレベルで実践して「当たり前」とすら思っていないと思う。

僕ももっともっと頑張らなきゃね!

愛にあふれている強い男 Shel

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